“呑竜”の名の由来
弘治2年(西暦1556年)4月25日、埼玉群新方領一の割村(現在のルネサンス呑竜幼稚園がある場所)に住み、岩槻城主・太田氏に仕える家老・井ノ上将監信貞の次男として誕生した竜寿丸は、幼児より学問に秀でており、13歳で出家を決意した。
竜寿丸は14歳の春に林西寺(埼玉県越谷市)に入寺し、名を“曇竜”とする。その後、徳川家の菩提寺でもある浄土宗大本山増上寺(東京都港区)で修行し、林西寺に加え大善寺(東京都八王子市)などの住職を務め、長福寺(埼玉県本庄市)、来迎寺(神奈川県横浜市)を開山した。そして、後に開山となる大光院にて竜を呑んだという夢見以後、名を“呑竜”と改める。
呑竜上人は将軍徳川家康より厚い信頼を寄せられていた。慶長18年(西暦1613年)、徳川家康は一族の繁栄を願い、自身の先祖である新田義重を祀るために呑竜上人を招聘し、現在の群馬県太田市に『大光院』を創建。そして、呑竜上人は大光院の開山となった。大光院は徳川家始祖の菩提寺として威厳を誇り、関東十八檀林の一つにもなっている。
世は長い戦国乱世の影響で人心は荒廃し、捨て子や間引きなどの非道な行為が平然と行われていた。このような惨状を憂えた呑竜上人は、「幼い命こそは何物にも代え難い尊いものである」と説きまわるとともに、路頭に迷う幼児たちを引き取り養育した。このことから、後に『子育て呑竜』として崇められることとなった。また、生涯を人助けに尽力するなどこうした功績が称えられ、元和8年(西暦1622年)には、後水尾天皇より常紫衣の勅許を賜る。
~呑竜幼稚園創立~
昭和48年、井ノ上家18代目である井ノ上俊雄は、地域の要望と幼児教育の重要性に鑑み、先祖である呑竜上人の子育ての精神を現代の幼児教育の中に生かすべく『呑竜幼稚園』を創立した。
平成18年、井ノ上實園長が呑竜上人の生家跡に新園舎を完成させる。それに伴い「子どもは何よりも尊い宝である」という呑竜上人の子育ての心の原点に返り、これを現代幼児教育の中に再生(ルネサンス)させるべく『ルネサンス呑竜幼稚園』と改名した。
※呑竜上人を輩出した井ノ上家は武士の家系であるため、当園は仏教系の幼稚園ではなく、お寺なども運営しておりません。
■明るくのびのびと行動する中で、心と体の健全な発達を促す。
幼児にとって大人以上に心身の健康が重要な意味をもっているのは、幼児が遊びを中心とした生活の中で、自由にのびのびと活動することを通して、さまざま能力を獲得し、成長・発達していくためです。
■自分の力で行動することの充実感を味わいながら、自分で考え、
自分で行動できる態度を身につけさせる。
幼児は主体的に身体を動かす中で。多様な経験をし、体験を繰り返し積み重ねる中で、活動への意欲や判断力や行動力などが育ちます。
■身近な事象に関心を持たせ、生命を大切にする気持ち、
公共心、探究心などを養う。
幼児は遊びや生活のさまざまな場面で、
具体的なでき事を通じて感じたり、考えたり、行動したりする。
身近な事象に関心を持たせ、自然とのかかわりや
豊かな文化に触れさせることによって心情の発達を促します。
一学期 |
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4月 | ・入園式(新入児)・始業式・懇談会・歓迎会 |
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5月 | ・健康診断(内科・歯科)・避難訓練(火災)・遠足(親子) |
6月 | ・歯みがき集会・尿検査・交通安全指導・プール開き・家族保育参観 ・避難訓練(地震) |
7月 | ・カレーパーティ・七夕まつり・終業式・夏期預かり保育 ・夕涼み会・個人面談・お泊り保育(年長) |
8月 | ・夏期預かり保育・水泳講習会(希望者)・夏期保育 |
二学期 |
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9月 | ・始業式・お招き会(うさぎ)・施設訪問 |
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10月 | ・運動会・入園願書配布(10/15~)・園内見学会(未就児) ・どんりゅう展(作品展、イベント) |
11月 | ・願書受付(11/1)・秋の小遠足・保育参観・親子観劇会 |
12月 | ・発表会・ドッジボール大会(年長)・終業式 ・冬期預かり保育 |
三学期 |
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1月 | ・始業式・防災センター見学(年長)・なわとび大会 |
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2月 | ・節分会・一日入園(新入児)・創立記念日(20日)・音楽発表会 ・マラソン大会 |
3月 | ・保育参観・卒園遠足(年長)・お別れ会(ランチパーティー) ・修了式 ・卒園式(年長)・春期預かり保育 |